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下記のエントリで金魚電話ボックス事件判決についてポイントに絞って抜き出し判断枠組みの概要を論じました。

この記事では、同奈良地方裁判所の判決について、批判的な検討を加えます。この記事は、奈良地裁判決について、肯定的な見解も多い中、まだあまり出されていない批判的な検討意見を紹介し、事案を多角的に考察してもらうことを狙いとした情報発信です。

本判決の根本的な疑問点

判決では金魚を電話ボックスに入れるというアイデアの著作物性を否定しています。この点は、あまり違和感がありません。

しかしこれとは別に、具体的表現を裁判所が救済的に著作物と認定するときに、原告電話ボックス造作物に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」、という、裁判所の拾い上げでは表現の範疇に入ってくるべき部分が、拾い上げられていない理由が明確ではないと感じています。この点が、本判決に対する個人的な一番の疑問点です。

金魚を電話ボックスに入れる、というアイデアとは別に、原告電話ボックス様造作に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」具体的な表現が救済されていない理由がはっきりと示されていないのです。

当事者が主張していないというなら、それは、裁判所が著作物性を認めた電話ボックス状の原告造作物も同じです。すると、当事者が著作物として判決書上は主張したという記載のない電話ボックス状の造作物を救済的に保護した手前、造作物内の「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」電話ボックスという表現物として救済することもできたはずです。

このとき、「電話ボックスに金魚を泳がせる」、という抽象的なアイデアについて著作物性を否定したことは、上記の態様の具体的な金魚が原告選択によって投入され泳いでいる表現について、救済的に拾い上げない理由にはなり得ないというのが私見です。富士山の写真について、富士山自体は著作権法上保護されないと言ったとしても、次に富士山を捉えた具体的な写真表現について、著作物性を検討するのは全く別の話です。

そうすると、電話ボックスの具体的な「公衆電話ボックスの造作物の色・形状、設置された電話機の種類・色・配置などの具体的な表現」は著作物であるとしながら、より枢要的な表現である、当該造作物に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」表現を含めて保護しなかった理由が必要になります。しかし、判決ではそこには触れられていません。

推測すれば、当事者が主張していない(これも判決書上は、ということです。)から、結論が変わる可能性がある救済はできなかった、ということになるのかもしれません。

ただし、そうであるとしてもやはり、「公衆電話ボックスの造作物の色・形状、設置された電話機の種類・色・配置などの具体的な表現」は著作物であるとしながら、より枢要的な表現である、当該造作物に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」表現を無視するのは、不自然とも感じられ、本来、当該具体的な金魚投入を含めた表現を保護すべきだったというのが、私見です。

その上で、原告の「公衆電話ボックスの造作物の色・形状、設置された電話機の種類・色・配置など」に、「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」表現と、被告の公衆電話ボックスに、「30ー40匹の赤色の金魚と、1匹の黒色の体長6〜8センチメートルの大型のワキン(かこれに類似した種類の)金魚を投入して」泳がせる表現に同一性が認められるか、という判断を経るべきだったのではないかと思われます。そのうえで、同一性なしという判断なら、よく検討された判断権者の判断として、受け入れ易かったと思いました。

マリオの例

近時、マリオに関してコスチュームなどの保護も含めた知財高裁判決が出されるなど話題になりました。

そこで、このマリオを例にして今回の奈良地裁判決に対する当エントリで述べられている批判的検討をわかりやすく説明してみたいと思います。

「マリオ」に引き直して考えると、中年の配管工に赤と青のコスチュームというキャラクターコンセプトはアイデアであって保護しない、という点をまず判断しています。←この点は、「なるほど」と思うところです。

しかし、次に「マリオイラストの着ている赤と青のコスチューム」は、具体的な表現であって、著作物に当たると、判断していることになります(原告電話ボックス造作の著作物性肯定部分。)。←この点は、「えっ!?」というのが正直なところです。驚きの理由は2つで、何故そこだけ拾い上げるのでしょうか?という驚きと、そこに著作物性は肯定するのは難しいのでは??という驚きです。

しかし、その後、マリオイラスト(原告著作物の引き直し)とルイージイラスト(被告作品に該当)のコスチューム「だけ」を対比して同一性を否定しているイメージになります。いわば、デザインが似ているがそれはオーバーオール一般の特徴だし、色が違うなど異なる点もあるので、マリオとルイージのイラストのコスチュームは同一の著作物と言えない、と判断しているように思われます。この点から、同一性は認められないため非侵害と判断していますが、やはり、なぜコスチューム部分だけを拾い上げてイラストの顔部分については無視して比較したのか疑問を残してしまいます。

つまり、ここで率直な疑問は、マリオイラストの顔部分はどこにいった??というものです。すなわち、本件判決に引き直せば、原告電話ボックス造作物に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」というマリオのイラストでいうと顔に当たるような、表現の枢要部分が換骨奪胎されており、この点に明確な説明がないように感じられます。

また、さらにマリオに引き直して例えると、マリオとルイージの中年の男性配管工というキャラクターコンセプトは共通している、と判断したと捉えられます。そのうえで、キャラクターコンセプトという抽象的なアイデア(実際の判決では電話ボックスに金魚を投入するというアイディア部分)は、共通していたとしても、著作権法上保護されない、と判断されていると理解できます。 

ここでも、 マリオの例でいうと、抽象的なキャラクターコンセプトの共通性が保護対象にならないのは理解できるが、そもそも、具体的なマリオイラストの顔部分の表現は??肝心の顔を含めたイラスト表現の対比はどこへいった??顔含めたらマリオとルイージ結構似てるのに、顔は???という素朴な疑問が浮かんできます。

総括

このように、肝心の表現部分(原告公衆電話造作に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」表現と、被告の公衆電話ボックスに、「30ー40匹程度の赤色と、1匹の黒色のそれぞれ体長6〜8センチメートルの大型のワキン(かこれに類似した種類の)金魚を投入して」泳がせる表現)を含めて対比をして、そのうえで似ていないと裁判所が判断したら、それは、判断権者の判断なので、一つの判断として納得できたというべきです。

しかし、本判決は理由もなく中核が換骨奪胎されているので、得心が得られるものではない、というのが個人的な本判決に対する批判的な検討結果です。

さらに言えば、肝心の表現部分である、原告公衆電話造作に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」表現と、被告の公衆電話ボックスに、「30ー40匹程度の赤色と、1匹の黒色のそれぞれ体長6〜8センチメートルの大型のワキン(かこれに類似した種類の)金魚を投入して」泳がせる表現を対比したとき、結論はどちらもあり得る、というのが個人的な見解です。もっとも、同一性を肯定できる場合も、次に依拠性の立証に奏功する必要がありますが、この点は本判決では判断されていない部分ですので、当エントリでも特に触れていません。

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